ちょっと思うことがあって、軽く感情的です。
このBlogの昔の名称は「コーチングダイアリー」
名前の由来は、バレーのコーチから。
その時のBeckの日記はカテゴリ「コーチ」から見ることができます。
http://pei.seesaa.net/category/96988-1.html
そんな昔を思い、今の自分に憤りを感じたことを書きます。
あまりにもここ最近のエントリーから見ると”感情的”なので、
興味がある人だけ「続きを読む」から読んでやって下さい。
思えば、去年も一昨年も・・・僕はバレー部の合宿に行っていたし、夏休みも大阪でバレー漬けだった。コーチをやっていた時代は、面白かったり、しんどかったり、嬉しかったり、悲しかったり・・・色んな感情を120%出し切って生きていた。
バレーを教えに帰っていた僕は、一生懸命毎日頑張ることの素晴らしさとか、自分の想いを乗せて何かに突き進むことによって得られるモノの大きさってやつを逆に教えてもらっていた。
だからこそ、今の自分の毎日を思ったとき、なんだか悲しくなってしまう。今の自分は、あの時みたいに120%自分の想いを乗せて生きれていないから。死ぬほど思い悩むこともなくなった代わりに、心から笑えるものがなくなった。社会人を3年もやっていくうちに、自分の本音は隠しながら生きるようになっていた。
不細工でかっこわるいかもしれんけど、そういう自分の感情を垂れ流すへたくそな生き方をしていたころの方が何倍も毎日が辛くて、楽しかった。失恋をすれば、友だちとカラオケでオールして、嬉しいことがあれば珈琲館で6時間だべったりもした。
そんな自分の相手をしてくれていた親友は結婚して、仲の良かった同胞は皆各地に散っていった。俺自身も東京に出て、なんだか気がつけば丸くなっていた。
何が変わったのか?
環境?立場?年齢?
それとも、自分自身の毎日への臨み方?
大学4年生のころの僕は、ただただバレーのコーチに没頭していた。
毎日3時間しか寝ずに、バレーの事しか考えずに、
バレー部(男女6時間)→移動(1時間)→バイト(20:00〜4:00)→移動(1時間)→睡眠(3時間)→部活
みたいな生活をしていた。体的にはきつかったけど、本当に楽しかった。部活とバイトの間に3時間くらい寝る時間があったけど、男バレ現役の馬鹿3人組とつるんで遊んでいた。
移動の間はバレーの事ばっかり考えて、家に帰って寝る前30分は次の日のメニューを考えていた。どうすれば効率がよいか?どうすればモチベーションがあがるか?そんなことばっかり考えていた。新しいメニューも何十個も考えた。本もいっぱい読んだし、Webサイトも調べて回った。
体は限界だったはずなのに、心はどんどん自由になった。出来ることが増えていくにしたがって、やりたいことも増えていった。時には衝突もしたし、体も心もぼろぼろになりながら、絶対諦めたくないという思いだけで、コートに立ち続けた。
社会人になって、東京に出てきた僕は、たまに大阪へバレーを教えに帰ることになった。月に2回、大阪と横浜の自宅を車で往復した。1年間での移動距離4万km。地球1周分。
金曜日の夜に家を出て、土曜日の朝から練習(男女6時間)、土曜日は実家で寝て、日曜日は朝から練習(男女6時間)、そしてそのまま横浜に帰る。車での移動は片道5〜6時間。
高速で脇見運転の車に当たられかけて、急ブレーキでそれをさけた後、車が制御不能になって半回転して止まった時は、流石に死ぬかと思った。奇跡的に車も自分も無傷。
そんな生活だから、月曜日の会社では眠いわ筋肉痛だわで大変だった。それをなんだかんだで1年半続けた。お金も体も厳しかったけど、とても楽しかった。迷うことなく言える。「あの経験は一生の宝」だと。
その後、心血を注げる仕事に出会ったりもしたが、半年で終わってしまった。今年の春からは客先常駐で仕事をしている。そこで、慣れない仕事、あがらない生産性、自分の不甲斐なさに正直モチベーションが下がっていた。
この夏休みは、引きこもりだったし、夏の思い出は、親友の結婚式と、夏休み前に見に行った江戸川の花火ぐらいだ。ただ、それでも、なんだかとても大事なことを思い出せた気がした。
初めてバレーから本当に離れた夏。
初めて心の底からの感動も、悔しさも、何もなかった夏。
今の自分の生活が如何にのっぺらぼうなものかを知った夏。
自分がやるべき事。
自分が本当にやりたいこと。
そこにもっと感情を乗せたい。感情をぶちまけたい。
悔しくて泣いたり、嬉しくて泣いたり。
心の底からガッツポーズしたり。
変わったのは環境ではない。
自分自身。自分の生き方。
夏はもう終わってしまうけど、僕はまだまだ終われない。
もっと成長したいし、もっと楽しく生きたい。
夢を諦めるには、まだまだ早すぎる。