
この国は何故か”人をほめること”が苦手な人が多い。
別に統計を取った訳じゃないけど・・・今まで生きてきた中で、
この主張にはある程度の確信がある。
人の失敗を喜んで、成功を妬むなんてのはまじで最悪だとして、
普段の生活の中で人の”いいところ”よりも”悪いところ”に
目がいってしまうなんてのは、誰しも経験があることと思う。
少なくても私はそうなのだけど、お世辞ではない、その人の感じた
自分のいいところを教えて貰えるととても嬉しい気分になる。
それは褒められたこと自体もうれしいのかもしれないけど、何だか
自分のことをしっかり見てくれている、自分という人間を認めて
くれていることがとても嬉しかった。
高校生にバレーを教えていた時代、欠点を指摘するよりも、
できるだけ良いところを褒めるようにした。(勿論、アドバイス
として欠点の直し方を教えることもしたのだけれども。)
そんなとき、彼女らは何だかとても難しい表情で喜んでくれた。
なんと表現していいのか分からないけど、むず痒いような、少し照れ
もあるような、それは何とも無邪気な笑顔だった。
多感な時代を生きる彼女らは、褒められることになれていない。
そういう反応をして貰えて嬉しい反面、なんだかとても悲しかった。
良いところがいっぱいあるのに、もっと自信をもって生きればいいのに、と。
個人的な意見になるけど、人を褒めるとき、ただ単におだてたり、
自分に好意を持って貰おうと思ってはいけないと考えている。
(勿論、相手を口説きたい等の目的があるなら別だが)
ましてや、相手を”評価する”なんてことでは決してない。
褒めて”あげる”なんてのは、ただのエゴイズムでしかない。
相手を褒めるとは、相手の良いところを見つけ出し、その才能や
性質を認めてあげることだと思うし、もっと言えば、相手と相手の行動、
生き方に対して多大な敬意(リスペクト)を払うことだと思う。
だから、本当にその人のことをよく見て、心から伝えなければいけない
と思っている。そんな改まって伝えるのはこっぱずかしいと思うなら、
心の中ではそう思って、照れ隠しながら伝えればいい。気持ちが乗って
いるなら、必ず伝わるはずだ。
心から一言「マジスゲー!!」だって全然かまわないと思う。
「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」イエスも孔子も言っているとおり、自分がされて嬉しいことは、みんな嬉しい。
(マタイによる福音書7章12節)
「己の欲せざるところ、他に施すことなかれ」
(論語 巻第八衛霊公第十五 二十四)
この黄金律は2000年モノなのだから、間違いない!
この国の慣習ってやつはなかなか変えられないかも知れないけど、
少なくとも僕らが意識を変えれば、僕らの周りの人が幸せになったり、
やる気を出したり、才能に目覚めたりできるかもしれない。
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