(余談だが、棟方志功を演じたのはあの”劇団ひとり”だが、素晴らしい演技だった。ストーリーも素晴らしかったが、彼の演技に心を突き動かされたところも大きい。)
スティーブ・ジョブス、棟方志功、宮崎駿と、全く関係の無い3人をつかまえて何を書こうと言うわけでもないのだが、個人的にはこの”圧倒的且つ創造的な成果を残した”偉人達の物語にかなり感化されてしまったので、自分の想いや考えをまとめたい。
私ごとき凡才がこんなことを書くのもおこがましい気もするが、彼らのように圧倒的パフォーマンスを出すため3要素は以下の通りだと感じた。
- 情熱
- 努力
- 才能
1.情熱
もう少し俗っぽく言えばやる気とも言える要素。情緒的表現だが、強い憧れ、強烈な記憶、目標、価値観は時に圧倒的なエネルギーをその人に与える。
「わだばゴッホになる(我はゴッホになる!)」
「音楽はベートーベン、版画は日本の棟方志功」
と、ドラマ中で棟方志功(劇団ひとり)が何度も言っていた。ドラマとしての脚色があるとしても、絵描きを目指して上京する前から故郷で「わだばゴッホになる」といつも言っていたことは事実らしい。彼はゴッホにはならずに、世界にその名前を知られる版画家となった。
スティーブ・ジョブスはまさにパッションの塊の様な人物であることは『スティーブ・ジョブズ-偶像復活』からもよく分かる。彼が他人の功績を自分のモノにしたとかしてないとか、そういう議論はここではおいておくとして、彼がアップルのイメージを今の地位(つまり、アメリカNo.1ブランド)に押し上げたことは間違いない。”自社製品に対して圧倒的な情熱を傾け、絶対の自信を持って世の中に広めることができるトップマネジメント”というのは、なかなか日本ではお目にかかれない。
宮崎駿監督は「人を楽しませたい」を連呼し、人を楽しませた時にはじめて「社会の中で自分の存在が認められる」という位。映像を見れば一目瞭然なのだが、映画を作り出すという作業に向かうそのエネルギーは壮絶だ。
別にこの情熱を持つというのは特別なことではない。強烈な想いを抱いた時、自分の体内から無限とも思えるエネルギーがわき出るという感覚を誰しも味わったことがあるはずである。ただ、それが日々の生活から消失してしまっているだけなのだ。
2.努力
現在NYヤンキースで活躍する松井秀喜選手は、父親より「努力できることが才能である」という言葉をもらったという。松井秀喜選手の著書「不動心」でこの言葉に出会って以来、とても大切な言葉として心に刻んでいる。
例えば、剣道や柔道などの「道」を極めるためには「修行」が必要となる。先述の松井選手は、素振りを毎日欠かさないというし、イチロー選手は小学生の頃は毎日欠かさずバッティングセンターに通っていたという。
こういった話は別にスポーツや格闘技の世界だけにとどまらない。僕はIT系技術者としてその道のプロになるためには技術を磨く必要があるし、ビジネスマンとしてはそれ以外にも経営や語学、ビジネススキルも学ぶ必要がある。それ以上に、人間性を高めるために学び、日々良い習慣を身につける努力が必要となる。
問題はどう努力すればいいか?だ。
棟方志功は父親の死に目にも「帝展に受かるまでは故郷に帰らないと親父と約束した」と言って帰らなかったと言う。(ドラマの脚色で無ければ、ですが ^^;)
スティーブ・ジョブスは自分の興味を持ったことは、大学の図書館などにこもって徹底的に調べ、交渉時に相手に見向きもされなくても何度でも足を運んで、粘りに粘って交渉を成立させたという。
宮崎駿は、SFアニメ全盛期(ガンダムの時代ですな)の初監督作品「カリオストロの城」が興行的にふるわず、そこから数年間企画を持ち込んでも「あいつの企画は馬糞くさい(古くさい)」と言って相手にされない不遇の時代を過ごした。その間、それでも諦めずに企画を出し続けたのだから、並大抵ではない。
こうと決めたらやり抜く。
ただ、己が信じた道を突き進むことに専心する。
と、書いたものの、ことはそれほど簡単でないことも一つの事実だ。
3.才能
最後の要素は才能だが、ここでいう才能は多くの人が抱く「天賦の才」ではなく、その人がパフォーマンスを最大限発揮することができる特性を指す。察しのいい人(というか、読んだことある人)は「さぁ、才能に目覚めよう」を思い出すことだろう。
僕には絵の才能は無い。それは残念ながら事実だと思う。歌もうまくはないし、楽器も弾けない。プログラミングスキルだってたいしたことはない。でも、アイデアを考え、資料を作り、プレゼンをすることに関しては中々悪くないし、文章能力は未だ洗練を見ないが、伸ばしたい領域の一つである。
さて・・そんな自己分析はさておき。「圧倒的成果を出すために必要な3要素」の一つに才能を入れたことには理由がある。「情熱を持って努力を重ねることで才能は開花する」と先に述べたが、実際には開花すべき才能があるからこそ、情熱を持って努力を重ねることができると考えられる。
自分にとって、一番やっていて楽しいこと(但し、刹那的快楽や自堕落な行動は除く)は、時間がたつのも忘れて没頭没我することができる。はじめてやるときに成果が出る必要はない。没頭している内に何をすればいいか見えてくるし、自分がやりたいことを実現するためであればその周辺領域の活動にも没頭することができる。そうすれば、成果なんて後からついてくる・・・はずだ。
そして、その一番楽しいことを見つけるためには、やってみるしかない。というのは、かの有名なガネーシャの教えだ。
棟方志功、スティーブ・ジョブス、宮崎駿の3名が圧倒的パフォーマンスを上げたのは、彼らに天賦の才があったからかもしれない。その可能性は否定しない。でも、一つだけはっきりしていることは、彼らは没我の境地に入り、唯々その才能が開花し、成果が出るまで努力し続けていたからこそ、圧倒的なパフォーマンスを発揮できたという点だ。
この世に天才が存在しないと言うわけではない。
でも、いかなる天才も努力なしには生まれ得ない。
もしもその道で食っていくと決めたなら、後は腹を据えて努力あるのみ。もしもその道が自分の進むべき道ではないと思ったなら、思い切って道を変えてみるのもいいかもしれない。全ての道はローマに通ずるのだ。一本や二本ぐらい道を変えてみても罰は当たらない。もしかすると、あなたはフェラーリであぜ道を走ろうとしているかも知れない。
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