などと、大上段に構えるつもりはないんだけど、
ニュースなんかを見ていてあまり良い気分がしないのが、
何だか揚げ足取りというか、否定から入るこの国の雰囲気。
マスコミもそうだし、その情報に踊らされる僕らもそう。
Blogでもしばしば見られることだけど、ごく一部の言葉に過剰に反応し、
文脈を読み取らずに(または都合の良い解釈をし)批判する風潮。
批判される側にも責任がないわけじゃないけど、僕にはどうしても
今僕らの目に触れる”報道”や”国民の声”という奴には、他人を敬い、
尊重する気持ちが欠如しているように思えてならない。
○政治に対する批判
安倍元総理も、福田元総理も、そして麻生総理も・・・
結局政策の善し悪しではなく、閣僚のスキャンダルや失言ばかりが
取り上げられた印象が強い。
例えば、金銭感覚が庶民的ではなかったり、漢字が読めないことが、
何で総理にふさわしくない・・・になるのかが僕には分からない。
僕は昨年秋に麻生総理が金融危機に際して、解散を見送ったこと自体は
正しい判断であったと思っている。危機的状況に対して、中銀が有効な手を
打てなかった場合、政治が何とかするという二段構えが必要な時期だった
ことは疑うべくもない。
定額給付金に関しても、”ばらまき”だとか”本当に困っている人に届かない”
といった批判があるが、景気対策の一つのやり方として、決して間違って
いるものではない。(一連の発言の右往左往はアレだけど。)
消費が2兆円創出されるのであれば、そこからの波及効果も含めて、
それなりの経済浮揚効果があるのも確かだ。公共事業を増やしてゼネコンや
土建屋ばかりに金を回すよりは、多くの業界にとって恩恵がある政策とも言える。
ただ、定額給付の実行時期もずるずると後退しているし、年末年始にかけて、
非正規雇用の方々が多く職を失われた事に対する迅速な手立ても意思表示も
なかった・・・という点に関して言えば、”実行力”や”直面する問題への対処力”
が不足しているという批判は致し方ないと言える。
本来、政治に対する批判は”政治力”や”政策”に対して行われるべきだし、
いついかなる時も、対案を示し、よりよくするための議論を前提とすべきだろう。
理想論かも知れないが、無理だと諦めて良いものでもない。
また、正式な民主主義のプロセスを経て選出された自国の宰相に対し、
あまりにも非礼が過ぎるのはいかがなモノかと思う。
総理大臣を選出するプロセスに国民が関われないとはいえ、総理大臣を選出する
政党・政治家を選んだのは国民である以上、総理大臣選出の責は国民にもある。
むしろ、総理大臣だから・・・ではなく、僕はすべからく他人を尊重し、敬う気持ちを
忘れるべきではないと考える。その上にたち、建設的な批判を行いたい。
○企業批判
ここ最近、”派遣切り”という言葉を聞かない日はないぐらいだが、この情勢の中で
リストラを進め、企業としての存続を求めることは”必要悪”と言える。
勿論、中には理不尽なリストラもあるだろうし、実際に職を失った方々は僕が思う
以上に大変だろうと思う。
一番わかりやすいのは、企業が倒産することで、それこそ大量の失業者が生まれ、
取引先や株主などのステークホルダーは多大な被害を被ることになる点だろう。
それこそが避けるべき最悪の事態なのである。
但し、従業員の雇用や賃金はできる限り守るべきモノであり、経費削減や売り上げ
向上の様々な企業努力や、役員報酬のカットなどの末に、”泣いて馬謖を斬る”
であるべきだとおもう。
そういった努力なしに需給にあわせて派遣社員を機械的に増減させる様な、
”人をモノ扱いする企業”は、どこかでそのしっぺ返しを食らうことになる。
(例えば、取引先を失ったり、株主が去ったり、就職希望者が減ったり・・・)
国民の生存権を守り、失業対策を施すことは国の仕事である。
そこが十分に機能していないことこそが一番の問題ではないかとも思う。
アメリカのオバマ新大統領も「新たな責任の時代」と言ったように、しばらくは
混迷を続けるであろう世界情勢の中で、私たちと、この国とがよりよい方向に向かう
為には”無責任な批判”を言い合っている場合ではない。
批判をすることが悪なのではなく、揚げ足を取ったり、個人の中傷に走ったり、
非を見つければそこを責め立てたり・・・と言った、建設的でない批判が横行する
ことこそが悪なのだと思う。
一人一人が責任を持って、この国を、自分達の生活を、子供達の未来をよりよく
するために建設的な議論を重ねられるようになればと切に願う。
その為には、まず批判の前に相手への尊敬を忘れないことから始めたい。
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