自分で決めたことなのに・・。前から分かってたことなのに・・。やっぱり心にぽっかりと大きな穴が空いてしまいました。
2年前のあの日、あの子達に出会うことが無ければ・・・きっと自分の人生はもっと面白くないものになっていたと思います。
捨てた指導者という夢を叶えるだけでなく、沢山の感動と、沢山の歓びと、沢山の苦しみも、沢山の悔しさまでも得ることができたのです。
周りが忙しくなる中、一人仕事がなくて、本当に気持ちが折れそうな時、あの子らが素晴らしい内容で1部昇格を果たし、沢山の勇気を貰いました。
頑張れ頑張れとあの子らに言い続ける自分が頑張らないわけにはいかなかったから、半分見栄で、この1年間乗り切ることが出来ました。
横浜と大阪を何度も往復しました。愛車はこの1年で4万kmも走った計算になります。でも、1度たりとも辛いと思ったことはありませんでした。あの子らには、あの場所にはそれだけの価値がありました。自分の全てを賭けても良いと思う、そんな何かがありました。
2年前のあの日、ただ、少し練習をみてくれと頼まれた俺の、ほんとにつたない指導をあの子らは嬉しそうに聞いてくれました。
『もし君らさえ良ければ、俺がコーチをやろうか?』
ごく、ごく自然に出た言葉でした。その時に無邪気に笑うあの子らの向こうに描いたバレー部像は、紆余曲折を経て昨日の試合の中で見事に重なりあいました。
自分でも驚くほどバレーの勉強をしましたし、毎日ノートと格闘して、新しい練習メニューを考えたりしていました。
けんかもしましたし、自分の駄目なところをいっぱい指摘されたりもしました。ほぼ完全に決別しかけたこともありました。モチベーションを維持させれなくなったり、やる気を失った子が部活に来なくなったこともありました。それでも、誰一人欠けることなく引退の日を迎えることができました。
男女バレー部で海に行ってビーチボール大会に参加したこともありました。夏休みは毎日クラブの後にだべっていました。みんなでバーベキューをしたこともありましたし、花火大会をしたこともありました。
俺が大阪を発つ日、みんなで新大阪まで見送りに来てくれました。バレバレな演出だったけど、心底嬉しかった。あの時貰ったあの子らからの手紙&アルバム(?)があったから、一人東京へ行っても挫けずに頑張れたんだと思います。
そんなだから、ただ、少しでも恩返しがしたくて、新入生(今の2年生)が入った後の負担を減らしたくて、何度も大阪に帰りました。はじめはただ、次のコーチが決まるまでのつなぎのつもりでした。
だから、Mさんがコーチになってくれると聞いたとき、俺は寂しい思いもしましたが、ほんとに良かったと思いました。Mさんの考え方ややり方は俺とは全然違っていたけれど、強くなるためにみんなが選んだことなら、それが正解なんだと、嘘じゃなく、本当に俺はそう思っていました。
それに、Mさんはやり方や考え方が違うってだけで、みんなとしっかり向き合って、みんなのために全身全霊をかけてくれる人だって分かっていたから。だから、本当に俺はあの時これで良かったんだと思いました。
その後、横浜に転居した俺の元に、再びコーチの話が来たとき、正直迷いました。大変なのはもとより、2週間に1度帰って来れれば御の字な自分がコーチをやるべきではないと思いましたし、何よりもMさんと比べられるのが怖かったからです。
でも、今はやってよかったと思っています。府立高大会ベスト8,1部昇格、そして、昨日の引退試合。もちろん失敗や後悔もありましたが、あの子らの試合には感動がありました。
春高予選では全く力を出せずに予選敗退をしてしまいました。不調のエースが一身に責任を背負って泣いていました。キャプテンもチームを試合に向けてまとめきれなかった自分の力不足を嘆いていました。俺も、心底悔しくて、なんとかしてあのこらにリベンジさせてやりたいという一心でした。
泣くほど嬉しかったり、涙も出ないほど悔しかったり、腹筋が痛くなるぐらい笑ったり、どうしようもなく辛かったり・・・そんな沢山の思い出がこの2年間にあるのです。
言い過ぎじゃなく、あの子らとバレーをする時間は何よりも楽しかったです。特に白熱した3マンはホントに楽しい!すごくしんどいはずなのに、あの子らは笑顔でプレーしていました。
この2年間は、23年生きてきた俺にとって、最本当に高の期間でした。心底、富高女子バレー部のコーチをしてよかったと思います。昨日の試合で焼き付けられた鮮烈な2年間の思い出は、俺の一生の宝と思います。
2年前のあの日、君たちと出会えた偶然に心から感謝します。そして、君たちのコーチをしたことを心から誇りに思います。
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普通の人間はなかなか味わえないいい経験をしましたね。
なんかうらやましいや。
なんかねぇ、儚いっつーか、切ない。
まぁ、44kiだって大学で色々楽しそうだったし、その辺は人それぞれの生き方ってやつでしょう。
次の生き甲斐を見つけなきゃ、死んじゃうw