俺は小学校までは運動の嫌いないじめられっ子でした。んで、かなり肥満ぎみなガキだったわけです。まぁ、運動が嫌いなんだから太りもしますわ。
そんな自分の転機は、中学時代に入ったバレーボール部でした。当時、うちの中学は校則で男子生徒はみんな坊主にするという時代錯誤なことを大阪で最後までやっているような「昭和」な中学でした。体育の授業は軍隊っぽかったです。
そんな中、俺は一大決心をしました。「スポーツをして痩せよう」運動嫌いの少年にとってはかなり大きな決断です。その時、一番仲の良かったYっていう友達がバレー部に入ると言うから、それにくっついて行ったわけです。
バレーを始めたきっかけが「痩せたい」「友達がやるから」なんて、教え子たちには言えませんな(笑)
中学時代は辛かったです。練習は厳しいし、根性論だし、水も飲ませてもらえなかったです。夏場は毎日ゲロ吐いてたし、一年の時はボールを使った練習なんてほとんどやらせてもらえませんでした。サーブとパス以外はボール拾いだけ、後はひたすら基礎体力のトレーニングをやった記憶しかありません。
目論見は見事にあたり、みるみるうちに俺は痩せていきました。身長も伸びて、気が付けば人並みの体つきに(笑)バレーはあんまり上手くなかったけど、なんとかレギュラー入りできました。スパイクも全然打てなかったし、セッターは自分より上手い子がいました。
「他の何ができなくてもいい。お前は絶対にチャンスボールをセッターに返せるプレイヤーになれ。」
運動音痴で、不器用で、良いところなんて何もなかった自分に顧問はこういいました。何も持っていない自分の唯一の武器、それはセッター練習の中で身につけたオーバーハンドパスでした。顧問は厳しいし、考え方も古かったですが、へたくそな自分にもチームのために役立てる方法を教えてくれました。
うちのチームは弱小でした。エースはそこそこ打てましたが、サーブカットも下手だし、攻撃はオープン攻撃のみでした。試合は地区大会で1つ勝てるぐらい、府全域なら初戦敗退でした。
確かに、あまり良い思い出はありません。苦しかったし、辛かったです。でも、終わった後寂しかった事だけは覚えています。引退した時には、高校に行ってからバレーをやろうという考えは無かったと記憶しています。
しかし、この時の経験が確実に今のバレー馬鹿の自分へとつながっていることだけは確かです。大きな転機は高校時代に訪れました。
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