■大きな背中が抱える不安や弱さ
私は両親が23歳の時に生まれたのですが、34歳になった今、考えてみると、34歳の時点で父は、母と、11歳の私、5歳の妹、そして母のお腹には弟がいたことになります。 当時の父の背中を思い出すと、やはりとてつもなくでかかったし、超えられない壁でした。妹の葬儀の時数十年ぶりに会った父の背中は大分小さくなってしまっていましたが、じゃぁ、今の私が当時の父と同じように威厳のある大きな背中をしているかと考えれば、暗澹たる気持ちになります。
僕は両親が30歳の時の子供なので、未だ両親の年齢には追いついてはいないのですが、姉が生まれたのは両親が27歳の時だったので、丁度その頃と同い年になった計算になります。両親が自分の年ぐらいの時にどうだったのかは知るよしもないですが、僕が子供の頃の記憶を辿る限りでは、30代前半の両親は今の自分とは比べものにならないぐらいしっかりしていた様に記憶しています。
でなくとも、僕がもっと若かった頃に知り合った20代後半の人達・・・例えば、先生、先輩、親戚のお兄さんを見て「いつかは自分も」と想い描いた将来像から考えると、全然自分がその域に達していないということに何だか憂鬱な気分になってしまいます。また、何にするにも不安を抱え、弱さに負けてしまう自分がこれまた嫌になってしまうのです。面倒だからという理由で先送りしてしまったり、気分が乗らないからと楽な選択をしてしまったり、将来の不安に押しつぶされそうになったり・・・何だかなぁという気分です。
でも、最近この年になって気づいたのですが、
誰だって不安を抱えているし、弱い部分を持っているもの
なんですよね。完璧な人などこの世にいないわけで、誰もがそういうマイナスの部分を多かれ少なかれ持っているわけです。何を当たり前のことを・・・と思うかも知れませんが、僕らは他人の気持ちを推し量るときに、何故かこのことを考慮し忘れてしまうのです。
つまり、僕が過去に追いかけ、完全無欠だと思ってきた「大きな背中」もまた、実はすべからく不安や弱さと戦っていたわけだし、それを乗り越えて生きてきたと言うことなのです。そして、そんなマイナスの部分を僕らに気づかせず、自分達の役割をきっちりと果たしてきたことに、改めて頭が下がる思いなのです。
■自己評価と他人の評価の乖離
3〜4年ほど年上の『Lifehacking.jp』の@mehoriさんや、『ライフハック心理学』の@nokibaさんの背中を見ても、とても追いつける気がしません。ましてや、身近なお手本たる営業本部長の大きな背中に至っては遙か彼方の頂です。そして、年下を見ても、『R-style』の@rashita2さんや、『Hacks for Creative Life!』の@beck1240さんの知性や感性、努力、発想力、行動力、どれを取っても完敗だなぁと思うことばかりです。
特に得意な分野やスキルがあるわけでもなく、広大な知識を持っているわけでも、深い洞察力や、鋭い文章力もあるわけでもないことは、ず〜んと落ち込みますが、それでも、今何とかかんとか生きているし、もう少し生きていたいし、生きている以上はまぁきっと私にもどこかしら伸び代があると信じて、今置かれているフィールドで悪戦苦闘・七転八倒するしかないのだろうなぁと思いました。
とても残念なことではあるのですが、僕自身の自己評価は@kazumotoさんと自分を比したときに知性や感性、努力、発想力、行動力のどれ一つとして勝っているものなどないです。まぁ、自分の評価と他人の評価の乖離(この場合は逆転??)なんてそんなもんだと思います。特にまじめな人ほど自分を過小評価するキライがあるので、こういうお茶目な勘違いをなさるのでしょう(^^)
但し、僕はバレーボールのコーチを行っていた身として、一つだけちゃんと主張しておきたいことがあります。それは、「自分ができること、得意なこと」と「努力の成果」は過小評価し、おとしめてはいけないと言うことです。うわべを謙遜して、実は裏では「おれすげー」って話なら別に良いのですが、そういうわけでもなさそうでしたので。
自分の駄目な所を反省することは全くもって悪いことではないのですが、自分の良いところは伸ばす(改良する)べき事柄であって反省すべきで事柄ではないのです。反省すべきは反省し、認めるべき所は認めるという、学習と報酬の車輪を回すからこそ力強い成長のサイクルを得られるのです。
@kazumotoさんのブログ「Find The Meaning Of My Life.」の素晴らしさは言わずもがなで、その流れるような美しい文体と、センスがないと選び取ることすら叶わない言の葉の数々、そしてその知識の豊富さと洞察の深さが織りなす他に類を見ないアウトプットは、全ての人に取って一見の価値有りです。
と、まぁ、ここまで書いて「@kazumotoさんは凄い人なんだから」と締めるのは簡単なのですが、上に書いていたとおり、どんなに過ごそうに見える人であっても実は弱さや不安を抱えていたりするもんなので、敢えて僕が見た@kazumotoさんのイメージをご本人に押しつけることはしないでおこうと思います。
でも、最後に一言だけ付け加えておきます。タイトルにも付けましたが
自分が何者かを決めるのはあくまで他人
だということです。また、その評価は自分の想いとは無関係に下されてしまいますし、本質は隠し通すことが出来ない物なのだと思います。例えるなら、灰に埋もれた石炭は見た目には熱いかどうか分かりづらいのですが、灰から取り出せば煌々と輝きと熱を放ちもするし、灰に隠れていたとしてもその熱まで隠すことは出来ないといったところでしょうか。つまりは・・・
イメージの不等式 「Find the meaning of my life.: 歳相応になれない自分」を読んで(R-style待合室)
自分の本棚を探して(Lifehacking.jp)
まぁ、こういうことです。(リンク先を読んで頂ければわかりますよ!)