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Hacks for Creative Life!管理人Beck

2010年04月09日

自分が何者かを決めるのはあくまで他人

いつもなら他の人の記事への言及はPosterousで行っているのだけど、今日はこっちで書きたいと思います。というのも、我が兄と慕う@kazumotoさんがBLOG記事「歳相応になれない自分」(Find The Meaning Of My Life.)にてとても興味深いトピックを取り扱っており、自分もそのことについてちゃんと考えてみたかったのと、何だかトンデモナイ勘違いをされているのでそれを真っ向から完全否定するためです(ニヤリ

■大きな背中が抱える不安や弱さ

私は両親が23歳の時に生まれたのですが、34歳になった今、考えてみると、34歳の時点で父は、母と、11歳の私、5歳の妹、そして母のお腹には弟がいたことになります。 当時の父の背中を思い出すと、やはりとてつもなくでかかったし、超えられない壁でした。妹の葬儀の時数十年ぶりに会った父の背中は大分小さくなってしまっていましたが、じゃぁ、今の私が当時の父と同じように威厳のある大きな背中をしているかと考えれば、暗澹たる気持ちになります。

僕は両親が30歳の時の子供なので、未だ両親の年齢には追いついてはいないのですが、姉が生まれたのは両親が27歳の時だったので、丁度その頃と同い年になった計算になります。両親が自分の年ぐらいの時にどうだったのかは知るよしもないですが、僕が子供の頃の記憶を辿る限りでは、30代前半の両親は今の自分とは比べものにならないぐらいしっかりしていた様に記憶しています。

でなくとも、僕がもっと若かった頃に知り合った20代後半の人達・・・例えば、先生、先輩、親戚のお兄さんを見て「いつかは自分も」と想い描いた将来像から考えると、全然自分がその域に達していないということに何だか憂鬱な気分になってしまいます。また、何にするにも不安を抱え、弱さに負けてしまう自分がこれまた嫌になってしまうのです。面倒だからという理由で先送りしてしまったり、気分が乗らないからと楽な選択をしてしまったり、将来の不安に押しつぶされそうになったり・・・何だかなぁという気分です。

でも、最近この年になって気づいたのですが、

誰だって不安を抱えているし、弱い部分を持っているもの

なんですよね。完璧な人などこの世にいないわけで、誰もがそういうマイナスの部分を多かれ少なかれ持っているわけです。何を当たり前のことを・・・と思うかも知れませんが、僕らは他人の気持ちを推し量るときに、何故かこのことを考慮し忘れてしまうのです。

つまり、僕が過去に追いかけ、完全無欠だと思ってきた「大きな背中」もまた、実はすべからく不安や弱さと戦っていたわけだし、それを乗り越えて生きてきたと言うことなのです。そして、そんなマイナスの部分を僕らに気づかせず、自分達の役割をきっちりと果たしてきたことに、改めて頭が下がる思いなのです。

■自己評価と他人の評価の乖離

3〜4年ほど年上の『Lifehacking.jp』の@mehoriさんや、『ライフハック心理学』の@nokibaさんの背中を見ても、とても追いつける気がしません。ましてや、身近なお手本たる営業本部長の大きな背中に至っては遙か彼方の頂です。

そして、年下を見ても、『R-style』の@rashita2さんや、『Hacks for Creative Life!』の@beck1240さんの知性や感性、努力、発想力、行動力、どれを取っても完敗だなぁと思うことばかりです。

特に得意な分野やスキルがあるわけでもなく、広大な知識を持っているわけでも、深い洞察力や、鋭い文章力もあるわけでもないことは、ず〜んと落ち込みますが、それでも、今何とかかんとか生きているし、もう少し生きていたいし、生きている以上はまぁきっと私にもどこかしら伸び代があると信じて、今置かれているフィールドで悪戦苦闘・七転八倒するしかないのだろうなぁと思いました。


とても残念なことではあるのですが、僕自身の自己評価は@kazumotoさんと自分を比したときに知性や感性、努力、発想力、行動力のどれ一つとして勝っているものなどないです。まぁ、自分の評価と他人の評価の乖離(この場合は逆転??)なんてそんなもんだと思います。特にまじめな人ほど自分を過小評価するキライがあるので、こういうお茶目な勘違いをなさるのでしょう(^^)

但し、僕はバレーボールのコーチを行っていた身として、一つだけちゃんと主張しておきたいことがあります。それは、「自分ができること、得意なこと」と「努力の成果」は過小評価し、おとしめてはいけないと言うことです。うわべを謙遜して、実は裏では「おれすげー」って話なら別に良いのですが、そういうわけでもなさそうでしたので。
自分の駄目な所を反省することは全くもって悪いことではないのですが、自分の良いところは伸ばす(改良する)べき事柄であって反省すべきで事柄ではないのです。反省すべきは反省し、認めるべき所は認めるという、学習と報酬の車輪を回すからこそ力強い成長のサイクルを得られるのです。

@kazumotoさんのブログ「Find The Meaning Of My Life.」の素晴らしさは言わずもがなで、その流れるような美しい文体と、センスがないと選び取ることすら叶わない言の葉の数々、そしてその知識の豊富さと洞察の深さが織りなす他に類を見ないアウトプットは、全ての人に取って一見の価値有りです。

と、まぁ、ここまで書いて「@kazumotoさんは凄い人なんだから」と締めるのは簡単なのですが、上に書いていたとおり、どんなに過ごそうに見える人であっても実は弱さや不安を抱えていたりするもんなので、敢えて僕が見た@kazumotoさんのイメージをご本人に押しつけることはしないでおこうと思います。

でも、最後に一言だけ付け加えておきます。タイトルにも付けましたが

自分が何者かを決めるのはあくまで他人

だということです。また、その評価は自分の想いとは無関係に下されてしまいますし、本質は隠し通すことが出来ない物なのだと思います。例えるなら、灰に埋もれた石炭は見た目には熱いかどうか分かりづらいのですが、灰から取り出せば煌々と輝きと熱を放ちもするし、灰に隠れていたとしてもその熱まで隠すことは出来ないといったところでしょうか。つまりは・・・

イメージの不等式 「Find the meaning of my life.: 歳相応になれない自分」を読んでR-style待合室
自分の本棚を探してLifehacking.jp

まぁ、こういうことです。(リンク先を読んで頂ければわかりますよ!)
タグ:不安 成長 人生
posted by beck at 02:17 | 🌁 | Comments | TrackBack(0) | 人生/考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月13日

僕らは何故、かくも大切な事を忘れてしまうのか?

結婚式の準備の為に実家の母親から子供の頃の写真を見繕って送ってもらいました。
不覚にも何度か胸がいっぱいになって目頭が熱くなってしまったり・・・(^^;

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■写真は形に残る思い出であると共に、記憶を想起させるメタ情報

赤ちゃんの頃の記憶は流石にありませんが、4,5歳の頃の思い出はうっすらと残っていました。普段は思い出すことがないけれども、写真を見るとそれなりに明瞭な記憶がよみがえってくるから不思議なものです。写真そのものも大切なカタチに残っている思い出ではありますが、そこから自分の記憶を想起させてくれるメタ情報たりえることもまた写真の魅力だと言えるでしょう。

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beck1歳の頃の写真(左) / beck4歳の頃の写真(右) 自分で言うのも何だが、この頃が人生で一番かわいい。

同じ情景の写真を見たとして、そこに写っているものの理解は同じだとしても、そこから呼び起こされる記憶や感情というのは人それぞれ違っていて、人はそれを思い出や思い入れと呼んだりします。音楽などにも同様の効果がありますが、自分や周囲の人という関連性の強い対象が写ることの多い写真の方が、より直接的に記憶を想起させてくれるような気がします。(僕の印象的には音楽は雰囲気やその時の思い出がもわっと浮かんできて、写真はその時の記憶や情景がリプレイされる感じです。)


■僕らは何故、かくも大切な事を忘れてしまうの

昨年7月に、祖父が他界しました。享年82歳だったので、十分に生を全うしたのだと思います。うちは両親が共働きだったこともあって、祖父母にとてもお世話になりました。祖母が亡くなったのが18年前で、それから17年後祖父が亡くなりました。その間に受けた愛情に報いることはもう出来ませんが、その分の愛情をこれから生まれて来るであろう、自分の子供や孫に注ぎたいと思います。

さて・・・そんな大切な祖父母との思い出ですら、ぼくは普段の生活で忘れてしまっています。それは、その時々で必要な事にフォーカスしているからとか、忘れることで辛い出来事を乗り越えていくことができるとか・・・色々な理由があると思います。ただ、普段忘れているからといって記憶がなくなったわけではなく、その記憶を思い起こすための刺激が無くなっているだけなのです。


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去年他界した祖父とのツーショット(左) / 18年前に他界した祖母とのツーショット(右)
とてもお世話になった祖父母との思い出や感謝と尊敬の念を、僕は生涯大切にしていきたいと思う。

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この丸いのは10歳ぐらいのbeck。今は亡き愛犬コタローがうちに来たばっかりのころの写真。超かわいい。

ただ、この思い起こすための刺激を未来永劫受けない場合、記憶は残っているが思い出されることがない・・・つまり、なくなったに等しい状態になってしまうのです。だからこそ、残したい記憶、思い出についてはそれらを引っ張り出すための仕組みに組み込んでおく必要があるのです。

例えば、写真や映像に残しておくのも良いと思いますし、ユビキタスキャプチャや日記の形で残しておいて後から見返すというのも良いと思います。勿論、Evernoteに全ての記憶を放り込むというのも良い方法です。僕が普段このBLOGで手帳やEvernoteについて少々偏狂的なまでに記憶に拘った記事を書くのはこういった理由があるからです。


■写真から感じた「両親の愛」と「感謝の念」

話を戻して・・・僕がこれらの写真から感じたものは「両親の愛」でした。
そして、同時にその事に大きな「感謝の念」も抱きました。

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生まれたてのbeck&母親(左)/眠る赤子beck(右) 地味にうちの父親はカメラの腕がある気がする

僕らが写真を残すときはどんなときか?

それは、その瞬間を切り取って形に残すことで思い出に残したいとか、もう少し気軽に考えても、記録しておきたいとか、誰かと情報をシェアしたいとか、そういう何らかの「想い」がそこにはあるからです。

今将に結婚式を挙げようかという所まで成長し、大切な思い出や記憶を如何に残すかを考えるようになってやっと気づけたことですが・・・両親がこれだけの写真を残してくれたことの意味を、その時の両親の感情を思うと感謝せずにはいられませんでした。なんだか気恥ずかしいですが、この先両親に対しては折りに触れて感謝の気持ちを伝えたいと思います。


■最後に

人は大切な思い出すら忘れてしまう生き物です。
しかし、それを思い出すための仕組みを作ってきたのもまた人なのです。

僕は今後の人生で、「大切な今」を切り取り、整理し、見返すということを繰り返すと思います。
それは、僕だけでなく、僕の大切な人達にとっても価値あるものになると思います。

皆さんも是非「大切な今」を残すことの意味を考え直してみて下さい。
そして、過去に両親が、自分が残した軌跡から、大切な思い出を引き出してみて下さい。
posted by beck at 16:54 | ☁ | Comments | TrackBack(0) | 人生/考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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